菅原道真 北野天満宮
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菅原道真/北野天満宮
〔すがわらみちざねときたのてんまんぐう〕
天神さんと言うと、すぐに菅原道真を祀る天満宮のことを思うが、元来、天神というのは、国つ神(国土を
守護する神)に対する天つ神(天上高天原の神)のことであって、古代人は雷鳴によってその存在する
ことを悟り、その雷鳴とともに雨を降らせる天つ神を、雷神と考えていた。そして,落雷の恐ろしさを、神の、
たたり、と信じていた。この古い信仰に御霊信仰が結びついて、道真の怨霊が、天満宮の起原となった
のでる。道真はその死後、天にのぼって天満大自在天となり、宇宙全体に充満し(即ち天に満ちて)、
十六万余の部下を率いて、その怨みを報ずるために、風水害/疫病などの、あらゆる災害を行うもので
あると思われた。菅原道真は承和十二年(八四五)乙丑六月二十五日,是善の子として生まれた。菅原家
は古くより学者として有名。父是善は文章博士として,特にその名がよく知られていた。道真も幼少より
学者としての修練を重ねていたが,仁和二年(八八六)四十二歳のとき隠岐の国守の任せられた。
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ところが,宇多天皇は、即位して程なく、道真を任地から呼び戻して側近に加え、道真を登用することに
よって、藤原氏を押さえて、天皇親政の実をあげようとされた。かくて道真は寛永八年(896)、民部クと
なり、その翌年、権大納言となり,右近衛大将を兼ねることになった。しかし、藤原氏の勢力はあまりにも
強く、遂に宇多天皇はその位を醍醐天皇に譲り、藤原時平と道真に対して、幼帝を補佐すべき旨を命ぜ
られた。醍醐天皇の昌泰二年(899)に道真は右大臣に任ぜられ、同時に藤原時平が左大臣となったが、
時平にとって、宇多天皇はその位を醍醐天皇に譲り、藤原時平と道真に対して,幼帝を補佐すべき旨を
命ぜらられた。醍醐天皇の昌泰二年〔899〕に道真は右大臣に任ぜられ、同時に藤原時平が左大臣と
なったが、時平にとって、宇多天皇の在位中は特別の信任をうけ、その退位後も何かと勢力を保っている
道真は、邪魔な存在であった。道真の女が、人内して女御となっていることも、また時平と対立する大きな
要因でもあった。そして、藤原氏が,次第にその勢力を拡大し,国政の中で重要な地位を占めてくると、
学者としては勝れていても、貴族としては成り上がりものにすぎない道真とでは比較にならなかった。
しかも儒者の家系から出て、大臣となったものは末だかってなかったことから、時平に味方して、道真を
嫉視する者も少なくなかった。延喜元年(901)一月二十五日、醍醐天皇は、藤原時平の奏するままにその
言葉を信じて、道真を太宰府権帥に左遷する旨命じられた。左遷とは名ばかりの、流罪に近いもので
あった。かくて太宰府に居ること二ヶ月余、延喜三年(903)二月二十五日、道真は死んだ。五十九歳で
あった。時平の奏上したことが事実だったのか、そのくわしい事情は、雲の上である。しかし、
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そののち平安京に次々と災厄のつずいたことは真実であった。延喜八年(908)には、時平に味方した藤原
菅根が病死。その翌年には時平が三十九歳の若さで病死。越えて延喜十三年(913)には道真のあとで
右大臣となった源光が狩猟中に横死して、その死体すら発見できないということがあり、延喜二十三年(923)
三月には、時平の女を妻としている皇太子保明親王が、二十一歳の若さで急死するという災厄が続いた。
道真のたたりであるとする声がたかまり、宮廷に於いても捨て置けないで、取り敢えず道真をもとの右大臣に
もどし、正二位を贈り、左遷の詔書を破棄する旨が発せられた。そして、長雨により、広くまん延している疫病
を鎮めるために、年号を延長と改め、大赦が行われた。それにもかかわらず、そのあと延長三年の春には、
天然痘が流行し、保明親王の遺児で時平の女の生んだ皇太孫慶頼王が,六月に僅か五歳で死去したので、
道真の怨霊は時平やその一族のもののみではなく、さらに醍醐天皇ゆかりの人たちにも及ぶだろうという
噂がたちはじめた。かくて、延長八年(930)六月二十五日.旱がつづいたので、殿上人が雨乞いのことで
協議していると、一天俄にかき曇って、雷鳴とどろき,清涼殿に落雷。大納言藤原清貴、右中弁平希世が
震死し、紫宸殿にも雷が落ちて,そこに居た公卿二名が毛髪を焼かれて死去した。このことが、醍醐天皇に
大きなシヨックを与えて、そのときから天皇は病床につかれ、咳病がつつき病勢がつのって、遂に九月
二十二日、朱雀天皇に位を譲り、同月二十九日崩じられた。ときに四十六歳。それから約十二年あと、
今の北野の地に道真の霊がまつられることになった。北野は、古くから平安京の聖なる地として雷神を
まつっていたところである。そこに天満大自在天となった道真をまつる様になったのは、当然のなりゆきと
言わねばならない。道真の霊をなぐさめるために祀った、北野天満宮が人々に災厄からの守り神として
信仰されるようになったには平安末期からのことで、当初は道真の事蹟に因んで、無実の罪をうけたとき
祈れば救われると考えられていた。「古今著聞集」に、鳥羽法皇に仕えていた小大進という待女が、盗みの
嫌疑を受けたので、北野神社に参籠して,"思ひいつ゛やなき名たつ身は うかりきと あら人神に なりし
昔を"と詠んだところ、盗んだ者があらわれて、その無実だったことがわかったという話が載せられている
学問の神様さまとなったのは、江戸時代のことで、そこに神に対する時代の変遷をしのぶことが出来る。
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